してません。
そもそもノートは家族ではありません。
最近、ずっとの頭の中を思考がぐるぐるしておりました。
そいつらも頭が支配されて...鬱というか、明確に自律神経失調症的なものが、呼吸のしづらさや動悸として現れておりました。
日課のランニングでも、すぐに喘息のようになって歩くことが大半で
何とももどかしい日々です。
そんな日々もそろそろうざいなというときに見かけたものが
「ジャーナル」
という方法。
簡単に言えば日記です。
僕にとっては吐き出しノートとも言いますし、思考整理ノートともいいます。
中学生にとっては黒歴史ノートともいいます。
お前らの実家にある黒歴史ノートみせろよな。(急)
(みせなくていいです)
かれこれ初めて五日目になりました。やめる気配が微塵もありません。
ところで私は、そこそこの継続力を持ち合わせた人間だとGIFしています。
GIFはすげーよ、ずっと同じ動きを繰り返して、継続力の鬼だぜ
は?(お前らは今頭の中が猫)
継続力を持ち合わせた人間だと自負しております。
そんな人間ですが、
あなたを悩みから解放する!
認知行動療法のひとつ!
愛と勇気だけが友達さ!
と、うたった、諸書く系の悩み解決ソリューション(三行日記とか)はどれも三日坊主でした。
というか二日目にはノートを開いてさえいません。
きっと私には向かなかったのでしょう。当時を振り返ると、何もできない毎日を日記に書くのがつらかったのかもしれません。
そんな人間がどうしてこの「ジャーナル」を続けていられるのか
これに対する自分なりの回答は
書き”殴る”
からだと思います。
スプラでいえば、敵が寄ってきたときにエクス本体でぶん殴るくらい
書き殴ります。
綺麗な感情も、暗い・汚い感情も全て頭に浮かんだまま全て書きなぐります。
誰にも見せれないノートを作ってしまいますがしりません。誰にも見せないので。
いたって単純な方法ですが、意外とスッキリするんですね。聞き上手な友達にえげつないマシンガントークで話したいことを話してスッキリする人の気持ちがわかります。
この現象を一人でノート相手にするだけです。
ノートに書かれるのは、自分の頭の中が文章になったものです。誰の感情も仲介せず自分の率直な思考・悩みがそこにあります。
そして、ノートに吐き出したおかげで、比較的スッキリした頭を一時的に手に入れることができます。
ただここで終わってはもったいないです。
悩みは解決しないと、それに対する「不安」はずっと居座り続けます。
書き殴ったあとは、掃き溜めとなったノートとスッキリした頭を使って
悩みの「重心」を探しましょう。
現代人の悩みは多岐にわたると思います。
悩みは一つだけです!ってひとはきっと少ないです。
それってデータとかあるんすか?
無いです主観です。
複数の悩みを抱え、今向き合いたい悩みがあるのに、別の悩みが不安をはじめとしたさまざまな感情で頭をさまよって支配される。そんな経験ないですか?
こういう時は大抵、結果的になにもできなくなることが常です。
困ったもんだ。
そんな時は、複数の悩みを一挙に「いい方向にシフトさせるような」ある一点を見つけましょう。これが悩みの重心です。数学みたいですね。
「解決」まではできなくとも、結局どの方針で動くことが全体的な視点でプラスに働くのかを、ノートに垂れ流した自分の思考を材料に考えるのです。
それを見つけたら「今はこれさえやれたらいい」と自然と思えてきます。
後のことは、方針どうりに進んで、より悩みを解決する力を身に着けた未来の自分に任せるべきです。
あれもこれも考えてしまう性分ですが、ジャーナルのお陰で、今の自分に大切なある一点を見つけることができました。
もちろん、まだまだ複数ある悩みの一つさえも解決できていません。しかし、それらに頭の中を支配されないことが、多忙で情報過多な現代において、本当に大切なことなんだなとこの数日で感じました。
これを読んでいる皆さんも、頭の中が思考で埋め尽くされてしまったら書きなぐってみてください。そこにあなたのやるべきことや、意志が隠れているかもしれません。